電車に揺られながら
ちょうどその頃、帰宅途中の電車に揺られながら日足の長くなった窓の外を、
森川くんはボンヤリと眺めていました。
「…VBAの達人……ねえ」
ボソリと彼の口から、独り言が漏れます。
不機嫌そうな彼の顔が、電車の窓に反射します。
「(岬先輩も勉強会に行ってたってことは、その八木って人は、先輩の師匠みたいなもんだろ?
星主任の友人って話だから、おそらく年齢も主任とそんなに変わらないはずだ…)」
森川くんの頭の中で、先刻のシーンがVTRのように鮮やかに再生されます。
「(あのとき明らかに、岬先輩は俺に参加してほしくなさそうだった。
でも、何となく分かる。
先輩のVBAのレベルは、一般的なビジネスマンに比べてかなり高い方だろ?
その先輩を指導するくらいだから、八木って人はホントにVBAの達人なんだろな…。
でも、自分が指導してる後輩の前で、指導される姿を見られるのは、誰だって面白くないはずだ)」
鉄橋の手前のカーブに差し掛かったところで、鮮やかな西日が森川くんの顔を照らします。
「(それにもし、先輩と八木って人で教える内容が食い違ったら、
俺はどっちの意見を採用すればいいんだ?
こんなの、プログラミングの世界ではよくある話だぞ…)」
森川くんのカバンを掴む手に、ギュッと力が入ります。
彼は視線を車内に戻し、自分の足下を見つめました。
「(…違うか。
本当は、その八木って人に情けなく指導される俺の姿を、先輩に見られたくないだけだ…。
カッコ悪いから…)」
森川くんはやにわに、カバンの中からテキストを取り出しました。
「(早くVBAをマスターしよう!…先輩たちに肩を並べるくらい。
勉強会はそれからでいい…それまでは、俺の師匠は岬先輩ただ一人だ。
……それにしても先輩、本当カワイイなあ…)」
真っ赤な顔でテキストを覗き込む森川くんを乗せて、電車は夕暮れの街を軽快に走り抜けていきました。